こんにちは、あらぴです。
『しゃべくり007』に、あの国民的歌手のMISIAさんが初降臨!するそうです。
年末の紅白歌合戦の大トリはおなじみの光景になりましたが、
これまで、歌番組もバラエティも、テレビではあまりお見かけしない印象だったMISIAさん。
しゃべくりメンバーとの、思わず笑ってしまう会話が楽しみです~
番組の内容は、追ってお知らせしますので、どうぞお楽しみに!
『しゃべくり007』は、2025年5月26日(月)日本テレビ、21:00~の予定です。
『しゃべくり007』MISIAが初降臨!家族の全面協力で、対馬の小学生時代の映像を初公開?
MISIAさんは、小学生~中学生時代を、長崎県の離島、対馬(つしま)で過ごしました。
MISIAさんは、対馬の「厳原少年合唱団」で歌の基礎を磨いたそうです。
その頃の貴重な映像が、『しゃべくり007』で初公開されるようですよ。
ご家族の全面協力によって実現した、MISIAさんの貴重映像、とても楽しみですね~
MISIAさんは、このことをご家族から事前に知らされてはいないのでしょうか?
だとすれば、MISIAさんにとっても懐かしい貴重映像ということですねえ。
ほんの少し番組の予告で流れていましたが、やはり歌が上手い!
本当に小学生が歌ってるの?と驚きました~
他にも、MISIAさんが「第二の故郷と言ったらいかんと思ってた・・・」
と涙を流すシーンもありました。
一体どういうことなのか、とても気になるところです・・・
『しゃべくり007』は、2025年5月26日(月)日本テレビ、夜9時からの放送予定です。

MISIA、小学時代の伸びのある高音映像
2025年5月26日(月)21:00放送
MISIAさんは、冒頭から、自身の名前の由来を「家族みんな医者だから、”みいしゃ”」と持ちネタを披露しました!
ご家族の協力で提供された、小学時代にMISIAさんが、ミュージカル仕立てで歌っている映像が流れました。
MISIAさん、高音の伸びが素晴らしい、小学生離れした音程でした~
ご家族も、この時のMISIAさんの歌を聴き、歌手への夢を応援するきっかけになったそうです。
MISIAさんは、10歳くらいから歌手になる事を決めていたものの、歌手で食べていくイメージはできなかったそうです。
売れないと困るから、お年玉は使わない!と将来のために貯めていたとか。
エライ!小学生なのに立派な心掛けですね~
対馬という環境は、大きな声を出しても誰にも迷惑がかからない!良さがあったそうで、MISIAさんはいつも山で大声を出して歌っていたとのことです。
番組では、対馬の映像と共に、観光名所と、MISIAさんの思い出の場所が次々と紹介されました。
なんと、有田さんは小学生の頃、対馬に家族旅行で行ったことがあるそうですが、感想は「なんもなかった・・・」
まあ、確かに、海と山が美しいという以外、子どもが喜ぶ娯楽はなかったかも・・・
MISIAさんは、大きな鯛を釣った思い出を語っていました。
そうそう、有田さんも、対馬の海釣りをやってみればよかったのにね!
MISIAさんの同級生まいさんが、スタジオに証拠の魚拓を持ってきてくれてました~
同級生のまいさんから「MISIAさんは、運動と方向は音痴だったけれど、とにかく歌が上手く突出していたので合唱にならなかったです」との証言がありましたよ。
MISIAのデビューまでの道のりは?
とにかく、しゃべくりメンバーは、本物のMISIAさんに会えたことに大興奮!
MISIAさんを囲んで、まるで小学生のようなはしゃぎようでしたよ。
ミステリアスなMISIAさんに、しゃべくりメンバーからあれこれ質問が飛び交いました。
ポテトチップなんて食べないでしょ?とか、日本に住んでいるんですか?とか、普通の家屋じゃなくグランピングで瞑想とかしてるんでしょ?とか。
みんな勝手な妄想を巡らしていましたね~
MISIAさんは、瞑想はしてなさそうですが、ツアー中に寝ながら歌っているとか?・・・自分の声でピクッと起きることがあるそうです。
オリンピックでの国歌斉唱について、MISIAさんはあまりの緊張に、心臓の音がバクバク大きすぎて、イヤモニに演奏が聴こえず困ったそうです。
そんなことはみじんも感じない、堂々とした歌声でしたよね!
そしてMISIAさんのレインボーカラーのドレスもとても素敵でしたね~
10代の頃のMISIAさんは、20歳前のデビューを目標に、オーディションを受けるもなかなか合格できなかったそうです。
ある日、お父さんが、駅の電信柱に貼ってあるオーディションのポスターを見つけて、はがして自宅に持ち帰ってくれ、MISIAさんのデビューにつながったそうです。
えー?電信柱のポスターから?とスタジオ中大騒ぎでした~
MISIAの幼なじみがスタジオに登場!
MISIAさんの30年ぶりの幼なじみとして、4名の方がヒントと共に登場しましたが・・・
MISIAさんは誰なのか、あまりピンとこない様子でした。
あれこれ悩んだ末、MISIAさんが導き出した答えは大正解!
同級生のお寺のご住職ご夫妻は、MISIAさんのことを懐かしく思うと同時に、対馬の人みんなの誇りだと話しておられました。
MISIAさんは、対馬は多感な時期を過ごしたかけがえのない場所だけれど、引っ越してからは縁が無くなっていたので、「第二の故郷だと言ってはいかんかな」と遠慮していたそうです。
同級生ご夫妻から、ぜひ対馬の海と山をバックに歌ってほしいと言われ、涙を浮かべ喜んでしました。
ぜひ、MISIAさんの対馬でのライブ、実現してほしいです!
ご住職は、小学生時代のMISIAさんが、自分のことを好きだったと勘違いしていたそうですよ~
2人目は、ケニア在住のツアーコンダクターさん。この方、マサイ族と結婚した初の日本人女性とのことです!
マサイ族の方と?スケールが違いすぎて、ただただ驚きです・・・
MISIAさんが、真心を持ってアフリカの子どもたちと接していると語っておられました。
3人目は、高校のブラスバンドの後輩の方でした。
MISIAさんは、ブラスバンド部ながらメインで歌を歌う役目だったそうですが、後輩の方は音痴だったので、MISIAさんに呼び出され指導されたことがあるとか。
ブラスバンド部の恩師の先生も登場し、MISIAさんの歌のすごさにほれ込んだとのお話でした。
高校生のMISIAさんが歌う「Memory」を聴いてみたかったなあ。
そのブラスバンド部の音源をレコーディングスタッフが聴き、後の名曲「Everything」につながっていったそうです。
4人目は、MISIAさんが実のおああちゃんのように慕い、お世話になった、つるおばあちゃんのお孫さんでした。
つるおばあちゃんは、対馬時代、忙しいご両親の代わりに家事をお手伝いしてくれた方だそうです。
MISIAさんはデビュー後も、つるおばあちゃんのお見まいに駆けつけたり交流があったそうですが、残念ながらデビューから10年後にお亡くなりになったそうです。
おばあちゃんの想いは、家族全員で受け継いで応援していますとのお言葉でした。
MISIAさんは様々なご縁を大事に繋いで、今日まで歩んで来られたことがわかる感動の締めくくりでした。

