こんにちは、あらぴです。
国民的歌手MISIAさんは、
年末の紅白歌合戦でトリを務めることでもすっかりおなじみですね~
MISIAさんの素晴らしい音程と声量は、
子ども時代に過ごした対馬で培われたものとか?
MISIAさんの出身地・対馬とはどのような場所なのでしょうか?
『しゃべくり007』に初降臨したMISIAさんが、
出身地・対馬の記憶の数々を語ってくれました。
これまで、テレビではあまりお見かけしない印象だったMISIAさん。
それがなんと、バラエティに出演とは!
しゃべくりメンバーとの、思わず笑ってしまう会話が満載でしたよ~
歌姫MISIAさんを育てた、出身地・対馬についてまとめましたので、
どうぞ最後までお読みください。
MISIAの出身はどこ?対馬とは?
明日よる9時の #しゃべくり007 は
国民的歌手🎶 #MISIA さんが
まさかの初しゃべくり😳✨地元・対馬で大物イシダイ釣り上げ⁉️🎣
デビューのきっかけは
父が持ってきたオーディションのビラ⁉️📃超貴重なエピソード満載‼️
そして❗ご家族全面協力💖
必見✨小学生時代の映像をテレビ初公開👏😆 pic.twitter.com/W9h2N8mYDn— しゃべくり007 (@shabekuri007ntv) May 25, 2025
MISIAさんは、長崎県大村市に生まれ、
4歳から14歳までを長崎県の離島「対馬(つしま)」で過ごしたそうです。
出身地というと、生まれた場所の大村市になるのでしょうが、
ここではMISIAさんが子ども時代を過ごし、想い出がたくさん詰まった
第二の故郷「対馬」を出身地として紹介します。
長崎県は島が多いことで知られています。
なんとその数、1,479で、全国で一番島が多い県だそうです。
MISIAさんが育った対馬は、長崎県の島のひとつで、
韓国プサンに近く、”国境の島”と呼ばれています。
連なる山々、エメラルドの海、まさに風光明媚な場所です。
対馬の大自然の中、MISIAさんは自由にのびのびと育ったのでしょうね~
MISIAさんの大きな声は、出身地・対馬で培われたと語っていました。
子どもの頃から、山の中や海辺で、いつも大声で歌っていたそうです。
誰にも迷惑をかけずに、大声を出せた自然環境は、
MISIAさんにとって最適な環境だったのでしょうね。
ところが、MISIAさんが大人になって知ったのは、
その大きな歌声は、結構、近所に聞こえていたとか・・・
もしかしたら、MISIAさんの歌声を聞いていた近所の方々は、
「あの子はすごい歌手になれるばい~」とウワサしていたかもしれませんよ~
MISIAが住んでいた出身地の町は?
白嶽を形容する「絶景」みたいな単語を教えて、とAIに頼んでみたにゃん!
絶景・絶頂・絶壁・絶叫(よくわかるにゃん!)
絶妙(歩行距離に対して抜群の体感高度にゃん?)
絶勝(言い過ぎで恥ずかしいにゃん!)https://t.co/aV3ToXRmts#対馬 #白嶽 #登山 #トレッキング #日本百低山 #九州百名山— 対馬観光大使つしにゃん (@tsm_kanbutsu) September 1, 2025
MISIAさんがかつて住んでいた町は、
長崎県下県郡厳原町(ながさきけん しもあがたぐん いずはらちょう)、
現在の対馬市厳原町です。
なかなかに難解な地名ですよね~
対馬には、他にも珍しい地名が沢山ありますよ。
女連うなつら、豆酘つつ、玉調たまづけ、千尋藻ちろも、箕形みかた・・・
2004年に、上県郡と下県郡6つの町が合併し、対馬市が誕生しました。
厳原町は島の南端に位置し、対馬の中心的存在です。
対馬市役所や対馬博物館、国指定史跡の万松院(ばんしょういん)、
また博多港へ向かうフェリー/ジェットホイルの港などがあります。
因みに、対馬出身の有名人には、プロ棋士の佐々木大地さん(30歳)もいます。
また、プロ野球の日本ハム監督の新庄剛志監督も、対馬生まれとか!
ところで、MISIAさんは、出身地の対馬のことを
どれくらい記憶しているのでしょうね?
それについては、2025年5月26日放送の『しゃべくり007』で、
MISIAさんがたっぷり話してくれましたので、後ほど紹介したいと思います。
MISIAが出身地・対馬へ里帰り
2022年の「24時間テレビ・愛は地球を救う」の企画で、
MISIAさんが母校の厳原小学校を訪れていました。
番組テーマ「会いたい!」に絡めて、MISIAさんは、
「厳原ジュニア合唱団」の恩師・高木先生と、
31年ぶりに喜びの再会を果たしました!
高木先生は、自由に楽しく歌わせてくれるので、
MISIAさんは練習が何より楽しみだったそうです。
そして、高木先生から習った、歌う前にハミングをして喉を温める方法や、
地声からファルセットへの練習など、
基礎練習はMISIAさんの体に染みついていると語っていました。
MISIAさんはどこに行っても、
『なんでこんなに君は基本ができているんだ?』と褒められたそうです。
高木先生は、幼少期のMISIAさんついて
「抜群にかわいらしくて、声がピカーンって通って」と振り返っていました。
MISIAさんは5オクターブの音域を持つと言われています!
この頃から先生は、既にMISIAさんの才能を見抜いておられたのでしょうか?
MISIAさんは、高木先生の教えは、自身の源だと、何度も感謝していました。
その後、MISIAさんは「希望のうた」を熱唱し、
厳原ジュニア合唱団の子どもたちの姿も映し出され、感動のシーンになりました。
MISIA出身地の小学時代の映像は?
MISIAさんは、『しゃべくり007』冒頭から、自身の名前の由来を
「家族みんな医者だから、”みいしゃ”」と持ちネタを披露しました!
スタジオのしゃべくりメンバーは、一瞬ざわついたものの、
「なんだ、持ちネタかよ~」
MISIAさんは、ユーモアたっぷりでチャーミングですねえ。
ご家族の協力で提供された、小学時代にMISIAさんが、
ミュージカル仕立てで歌っている映像が流れました。
MISIAさん、高音の伸びが素晴らしい、小学生離れした音程でした~
ご家族も、この時のMISIAさんの歌を聴き、
歌手への夢を応援するきっかけになったそうです。
お母さんは、MISIAさんがテストの点数が良くない時でも、
「エジソンとかも子どもの頃はそうやったらしいばい。あんた天才かもしれんよ。」
と、MISIAさんに勉強を強要することなく、
好きなことをマイペースに伸ばせるよう育ててくれたそうです。
MISIAさんは、10歳くらいから歌手になる事を決めていたそうです。
ただ、歌手で食べていくことはイメージできなかったそうです。
それで、「売れないと困るから、お年玉は使わない!」
と将来のために貯めていたとか。
エライ!小学生ながら立派な心掛けですね‼
MISIAの出身地・対馬の生活は?
【お知らせ🗒️】
今週の水曜日、5月28日は、#MISIA さんのスペシャル1Day企画をお届け✨MISIAさんが早朝から夕方まで
時刻のお知らせとともに、
ニューアルバム「LOVE NEVER DIES」の中から、
その時間に合った楽曲をセレクト🕰️詳しくは⬇️https://t.co/zk2mMtBuY4#FM大阪 @MISIA https://t.co/hdRjUMWRrE pic.twitter.com/bLBMbHYJG2
— アサトク (@asatoku851) May 25, 2025
『しゃべくり007』で、対馬の幼なじみのまいさんが、
MISIAさんは運動音痴だったと証言していましたが・・・
MISIAさんに言わせると、対馬の友達がみんな運動神経が良すぎただだそう。
大自然の中で培われた運動神経はすごいということ?
福岡に引っ越してみて、MISIAさんは自分の運動神経は
普通レベルだと感じたそうですよ~
なんと、くりぃむしちゅーの有田さんは、
小学生の頃、対馬に家族旅行で行ったことがあるそうです。
が、旅行の感想は「なんもなかった・・・」
まあ、確かに、海と山が美しいという以外、子どもが喜ぶ娯楽はなかったかも・・・
MISIAさんは、大きな鯛を釣った思い出を語っていました。
MISIAさんの同級生まいさんが、スタジオに証拠の魚拓を持ってきてくれました~
有田さんも、対馬の海釣りをやってみればよかったのにね!
MISIA出身地・対馬ゆかりの人がスタジオに登場!
MISIAさんの30年ぶりの幼なじみとして、4名の方がヒントと共に登場しましたが・・・
ただ、MISIAさんは誰なのか、あまりピンとこない様子でした~
あれこれ悩んだ末、MISIAさんがようやく導き出した答えは大正解!
ゲスト1、 同級生のお寺のご住職ご夫妻が登場
MISIAさんのことを懐かしく思うと同時に、
「対馬の人みんなの誇りだ」と話しておられました。
MISIAさんは、対馬は多感な時期を過ごしたかけがえのない場所だけれど、
引っ越してからは縁が無くなっていたので、
「第二の故郷だと言ってはいかんかな・・・」と遠慮していたそうです。
同級生ご夫妻から、ぜひ対馬の海と山をバックに歌ってほしいと言われ、
涙を浮かべ喜んでしました。
ぜひ、MISIAさんの対馬でのライブ、実現してほしいです!
ちなみに、ご住職は、小学生時代のMISIAさんが、
自分のことを好きだったと勘違いしていたとか・・・?
ゲスト2、 ケニア在住のツアーコンダクターさんが登場
この方、マサイ族と結婚した初の日本人女性とのことです!
マサイ族の方と?スケールが違いすぎて、ただただ驚きです・・・
MISIAさんが、真心を持ってアフリカの子どもたちと接していると語っておられました。
ゲスト3、 高校のブラスバンドの後輩が登場
MISIAさんは、ブラスバンド部ながらメインで歌を歌う役目だったそうです。
後輩の方は音痴だったので、MISIAさんから呼び出され、
指導してもらったことがあるとか。
ブラスバンド部の恩師の先生も登場し、
MISIAさんの歌のすごさにほれ込んだとのお話でした。
高校生のMISIAさんが歌う「Memory」を聴いてみたかったなあ。
実は、そのブラスバンド部時代の音源をレコーディングスタッフが聴き、
後の名曲「Everything」につながっていったそうです。
ゲスト4、 つるおばあちゃんのお孫さんが登場
つるおばあちゃんとは、MISIAさんが実のおばあちゃんのように慕い、
お世話になった方だそうです。
対馬時代、忙しいご両親の代わりに、
つるおばあちゃんが家事をお手伝いしてくれたということです。
MISIAさんはデビュー後も、
つるおばあちゃんのお見まいに駆けつけたり交流があったそうです。
残念ながらデビューから10年後、お亡くなりになったとのことでした。
お孫さんからは、
「おばあちゃんの想いを家族全員で受け継いで、MISIAさんを応援しています」
とのお言葉がありました。
MISIAさんは様々なご縁を大事に繋いで、
今日まで歩んで来られたことがわかる感動の締めくくりでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。



