こんにちは。
今回は、日本の国民的歌手、アジアを代表する歌姫と称賛される、MISIAさんを紹介します。
MISIAさんは、年末のNHK紅白歌合戦での大トリとしても、すっかりおなじみになりましたね。
その年の締めくくりにふさわしい、力強い歌声と華やかなパフォーマンスが板についています。
そして、MISIAさんからは、謙虚で飾らない、優しい人柄がにじみ出ているのを感じます。
MISIAさんは大物だからこそ、人格者なのでしょうね。
ところで、”MISIA”という名前の由来は、本名からきたのでしょうか?
MISIAさんの本名と併せて、ご家族についても調べました。
どうぞ最後まで、楽しんでお読みくださいね。
MISIAの本名は?誕生のエピソード
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「どんなに成功したとしても独りぼっちは寂しい」ライブで成長した彼女の歌にのせる嘘のない想いとはhttps://t.co/lfKgfQq9kM #婦人公論 #MISIA
— 婦人公論 (@fujinkoron) May 29, 2025
MISIAさんの本名は、伊藤 美咲(いとう みさき)さん。
1978年7月7日生まれ、現在47歳とのことです。(2025年9月現在)
MISIAさんは、6月末ごろ誕生の予定だったそうですが、
7歳上のお姉さんが、「七夕生まれがいい!」と言ったところ、
本当に7月7日の明け方に生まれたとか。
お姉さんが、七夕飾りの短冊にお願いを書いていたのかな?
ご家族が、MISIAさんの誕生を心待ちにしていたのがわかるエピソードですね。
MISIAさんは4歳の頃からピアノを始め、耳コピ―が上手だったようです。
小学2年生の頃、地元合唱団の定期演奏会を見て、MISIAさんは自ら加入申し込みに行ったそうです。
やはりMISIAさんは、小さい頃から音楽が好きだったのですね!
MISIAさんは、音大の声楽科出身の先生から基礎を学び、
10歳の時には歌手になりたいと決心していたそうです。
MISIAの名前の由来は?
「MISIA」さんのアーティスト名の由来は、いくつかあるようです~
子どもの頃のMISIAさんは、本名の「美咲みさき」→「みしゃき」と呼ばれていたようです。
呼び名の「みしゃき」が変化して「みいしゃ」になったとか?
また、ASIA(アジア)にも歌が届くようにとの願いを込めて、
「MISAKI+ASIA」 → 「MISIA」と付けられたとか。
覚えやすいし、とてもセンスを感じますね。
名前に願いを込めたとおり、MISIAさんはアジアの歌姫に成長しました。
一方、『徹子の部屋』に出演し、名前の由来を聞かれた際には、
「みんな医者で、略して”みいしゃ”って言われます」
との発言も⁈
”みんな医者”とは、MISIAさんのご家族は、MISIAさん以外全員お医者さんなのだそうです。
これは、MISIAさんの冗談(持ちネタ?)のようです~
MISIAさんのお茶目な一面が出てますねえ。
でも、もしかしたら、徹子さんは冗談の方を信じてるかも・・・⁈
それにしても、お医者さんの家系から、MISIAさんのようなビッグ歌手が生まれたとは!
MISIAの家族は「みんな医者」
MISIAさんのご家族は、「みんな医者」と前述しましたが、
MISIAさんを語るには、やはりご家族の存在が欠かせません。
CHANTO WEBのインタビューで、MISIAさんの母・伊藤瑞子さんが、
MISIAさん家族の様子についてお話しされていました。
MISIAさんは、5人家族です。
父・伊藤新一郎さん、母・瑞子さん、兄・大樹さん、姉・暁子さん、そして末っ子MISIA(美咲)さん。
MISIAさんのお母さんは小児科医、お姉さんは歯科医だそうです。
お父さんとお兄さんの専門は内科医なのでは?と推測します。
というのも、MISIAさんのお兄さんは、
福岡市にある小児科・内科・訪問診療科の「あおばクリニック福岡」を、
ご両親から引き継いでおられるからです。
MISIAさんが小さい頃、ご両親はともに、長崎県大村市の病院に勤務する医師でした。
病院では、離島から重症の患者さんをヘリコプターで受け入れていたそうですが、
ある日、お父さんが「自分たちが行った方が早い」と、離島へ移住する決断をしたそうです。
それから、MISIAさんは、長崎県の離島・対馬(つしま)で過ごすことになったのですね。
MISIAの母の子育ては?
当時は、女性が一身に子育てを担うのが当たり前、
”働き方改革”という考え方など無い時代です。
当然、夫婦共働きの医師であっても、旦那さんが
「子どもが熱を出したから休みます」とは言い出せない環境ですよね。
長時間労働のうえ、夜間早朝いつ呼び出しがあるかわからない状態で、
女性の医師が子育てを両立させるのはどれだけ大変だったことか!
もちろん、MISIAさんのお父さんも暇を見つけては、育児に協力を惜しまなかったそうです。
が、MISIAさんのお母さんは、それはもう想像を絶する、目が回るほどの忙しさだったでしょう・・・
ただでさえ大変な仕事をこなしながら、なんと、24時間病児保育付きの保育園を創設されたそうです。
ご自分の経験から保育園の必要性を感じ、実際に作ってしまうとは!
MISIAさんのお母さんは、まさに鉄の女!でいらっしゃいますね~
MISIAさんのお母さんは、子どもの頃から、祖父に
「女性も手に職を付けるべきだ」と口を酸っぱくして言われていたそうです。
そうして、医者の道を選んだお母さん。
そのお母さんに育てられたMISIAさんきょうだいは、
想いやりの心を持ち、自立心の強い人に成長したのですね!
忙しいご両親に代わって、お兄さんお姉さんがMISIAさんの面倒を見てくれ、よく3人で留守番したそうです。
また、寒い夜にMISIAさんが焼き芋を買って、ご両親のためにストーブで温めてあげたこともあったとか。
ご両親の仕事が忙しくても、ちゃんと愛情が伝わって、家族仲が良いことがわかるエピソードでした。
MISIAのデビューまでの道のりは?
今や、MISIAさんは、オリンピックで国歌斉唱を担う、大歌手に成長しました!
MISIAさんのレインボーカラーのドレスもとても素敵でしたね~
実は、当日、MISIAさんはあまりの緊張に、心臓の音がバクバク大きすぎて、
イヤモニに演奏が聴こえず困ったそうです。
そんなことはみじんも感じない、堂々とした歌声でしたよね!
そんなMISIAさんも、デビューするまでは苦労があったそうです。
10代の頃のMISIAさんは、20歳までにデビューすることを目標に、オーディションに挑戦していたそうです。
ですが、なかなか合格できなかったとか・・・
えー?MISIAさんの歌声を見いだせないオーディションって・・・
審査員は一体どこに耳を付けてるんだか?(毒舌でスミマセン)
そんなある日、駅の電柱に貼ってあるオーディションのポスターを、
お父さんが電柱からはがして持ち帰ってくれたそうです~
そのオーディションが、MISIAさんのデビューにつながったというから驚きです。
MISIAはなぜターバン姿?
MISIAさんのトレードマークといえば、ターバン姿ですよね。
衣装とターバンとがよく合って、色柄もデザインも華やかです。
元は、憧れのソウル・ミュージックのアーティストを真似て、ターバンを巻いたことが始まりだそうです。
ソウル・ミュージックのルーツはアフリカにあり、MISIAさんは関心を持って学んでいたそうです。
ですが、終わらない世界の貧困問題や紛争問題に、自分は何ができるのだろうと悩んでいたそうです。
そんな時、MISIAさんは、U2のボノさんに出逢い、アフリカに行くことを勧められ、ケニアの貧民街を訪問したとのことです。
以来、MISIAさんは、子どもの教育支援を行う活動に熱心に取り組んでいます。
アフリカ支援のNGOと連携したり、東京国際開発会議(TICAD)の名誉大使を務めたりしています。
MISIAさん自身がまずは学ぶこと、
多くの人にアフリカの素晴らしいところ、
音楽やアートも含めて、もっと世界中に広がってほしいと願っているそうです。
MISIAさんは、アフリカへのリスペクトの気持ちから、ターバン姿を続けているのですね。
MISIAさんは、現地からアフリカ布を購入し、ターバンを巻いているとか。
カラフルなプリント柄や、メッセージが描かれたものもあって、とても素敵ですね。
MISIAさんが身に着けることで、アフリカのファッションも広まるといいですね。
あと、プライベートでは、ターバンを外して街を歩くと全然気づかれなくて便利なのだとか⁈
なるほど~色々な効能を持つ、MISIAさんのターバンでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
MISIAさんが出演した、『しゃべくり007』、『あさイチ』プレミアムトークの様子は、別の記事で紹介しています。よろしければ併せてお読みください。


