大江千里は結婚した?子どもはいるの?若い頃は?現在は?プロフィールは?

大江千里さん・・・ミュージックフェアの予告でその名前を聞いたとき、

懐かしさがこみ上げると同時に驚きました。

ええ?あの大江千里?

しかもジャズピアニスト?

青春時代、大江千里さんの楽曲を結構好きだったのに、

現在の大江千里さんの活躍は、全然知りませんでした。

改めて、大江千里さんについて調べてみることにしました。

先ずは、気になる結婚、お子さんの状況から。

どうぞ最後までお読みください。

大江千里のプロフィールは?

大江千里さんは、シンガーソングライターとして発表する楽曲が

次々ヒットし、他のアーティストにも多くの楽曲を提供をしていました。

また、俳優、司会者としても大活躍でした。

「そういえば、大江千里って今どうしてるんだろう?」

と気になったことがありましたが・・・

まさか、アメリカでジャズピアニストになっていたとは!

大江千里さんは、1960年(昭和35年)9月6日生まれ。

現在、64歳になられたそうです。

東京生まれの大阪育ち。

大江千里さんは、幼少期からクラシックピアノに親しみ、

中学生の時には、当時大人気だったテレビのオーディション番組

『スター誕生!』に応募したとか。

大江千里さんは、関西学院大学在学中に、

念願かなってプロデビューを果たしたそうです。

大阪で大学生をしながらの音楽活動で、大阪―東京間の移動を繰り返して、

”日本一忙しい大学生”と呼ばれていたそうですよ。

デビュー直後から人気に火がついて、大忙しだったのですね!

大江千里さんのトレードマークは、べっ甲縁のメガネ。

職人さんに特注で作ってもらうほどの愛着ぶりだったようです。

大江千里さんは、小学生の時、ギルバート・オサリバンを聴いて、

ポップミュージックに目覚めたそうです。

また、吉田拓郎さんの、特に歌詞に大きな影響を受けたとのこと。

 

ポップスの大江千里さんが影響を受けたとは、ちょっと意外でしたが。

やはり、吉田拓郎さんは、シンガーソングライターとして、

フォークソングだけでなく、ポップス、演歌など

幅広い音楽家に影響を与えた、偉大なカリスマなのですね。

 

大江千里は結婚した?子どもはいるの?

大江千里さんはなんと、2008年、47歳の時、

ジャズの勉強をするためにアメリカ・ニューヨークに渡ったそうです。

大江千里さんが、プライベートについて明かすことはほとんどありませんが・・・

渡米後、一般女性と結婚したとのことです。

お相手の方は一般人ということ以外、

国籍も年齢も名前も一切わかりません。

また、結婚時期も不明です。

ただ、大江千里さんは、日本にいた時は独身だったと

関係者が証言しているそうです。

お相手の女性は、30年以上前に出逢った方とか。

長らく、大江千里さんのプライベートを支えてくれた女性なのでしょうね。

日本のポップスターの地位をきっぱり捨てて、一からジャズを学ぶ・・・

大江千里さんは、本気でジャズをやるためには退路を断つ必要があると、

車やバイクや衣装などの家財も全部処分して、渡米したそうです。

並大抵の決断ではありません。

そこに、一緒に海を渡り、苦労を分かち合ってくれる女性がいたなら、

なんて心強かったことでしょう。

いやいや、ちょっと待ってください。

もしかしたら、30年以上前に出逢っていた女性と、

ニューヨークでばったり再開し結婚した!

という可能性も捨てきれませんね。

もしかしたら奥さんは、アメリカ国籍の金髪美人なのかも?

♪”格好悪いふられ方”をして、二度と君に逢わない、と思っていたけれど、

いつかバッタリ出逢って友だちみたいに話せた♪

から結婚に発展したとか・・・?

妄想がぐるぐる止まりません・・・

妄想はさておき、残念ながら、

大江千里さんにお子さんがいるかどうかもわかりませんでした。

グーグルで、「大江千里 子ども」と検索すると、

AIが「大江千里には、娘がいます」と答えます。

が、この回答かなり怪しいようで・・・

大江千里さんは、毎月、自身のnoteに、愛犬「ぴ」ちゃんとの日々を

綴っています。

名前の「ぴ」って、ピアノの「ぴ」でしょうかねえ?

大江千里さんは、この愛犬「ぴ」ちゃんのことを、

「16歳になる”娘”」と呼んでいるのではないか?と推測されます。

いずれにせよ、渡米してからの大江千里さんは、

念願のジャズピアニストの夢を叶え、充実した日々を送っているようです。

きっと、結婚したことが、大江千里さんのその後の人生に、

大きな幸運をもたらしたのでしょう。

 

大江千里の若い頃は?現在は?

大江千里さんは、1980~1990年代に、シンガーソングライターとして、

数多くの楽曲が大ヒット。

他のアーティストに楽曲提供も行い、俳優や司会者としても活躍しました。

大江千里さんは、日本のポップスターとしての

確固たる地位を確立していたのです。

大江千里さんの楽曲は、リズミカルで目新しく、少し乾いたポップな声で、

とてもお洒落な感じがしました。

だって、田舎の子どもは、”ワラビー”なんて、(「ワラビーぬぎすてて」)

大江千里さんの曲で初めて聞きましたもん。

私は密かに、大江千里さんは、男性版ユーミンのようだと思っていました。

数十年経った今でも、ふと大江千里さんの声とメロディが

頭の中に浮かぶことがあります。

それだけ、大江千里さんの音楽は、脳に浸透していたのでしょうね。

大江千里さんは、15歳の頃、初めてジャズを聴き、

雷に打たれたような衝撃を受けたそうです。

以来、ずっとジャズへの憧れを持っていたようです。

大江千里さん、ジャズは長年の夢だったんですね。

大江千里さんは、40代に入った頃のある日、

犬の散歩途中、ショーウインドーに映る自分の姿を見て、

「自分は還暦を迎えても、”格好悪いふられ方”を歌うのか?」

と自問自答したことがあったとか。

当時は、お母様に続き、一緒に暮らしていた犬2匹、

親しい友人までも亡くなった時期だったのだそうです。

ご不幸が立て続けで、お辛かったでしょうね・・・

また、大江千里さん自身も腫瘍の手術を受けることになり、

人生について考えさせられる出来事が続いたとか。

「人生は一度きり。僕はやっぱりジャズをやりたい。

ジャズを学ばない限り、この先の僕の人生はない。」

まるで何かに憑かれたような・・・

ものすごく強い意志と行動力ですね。

やはり、J-POP界で一世を風靡した人は、スケールが違います。

大江千里さんは、ニューヨークにある、世界最高峰の音楽大学

「THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC」

に入学を果たしました。

大江千里さんは、日本のポップスターでしたが、

ジャズは素人同然だったとか。

”ポップスの血を全部ジャズに入れ替える”、意気込みで4年間学んだそうです。

大江千里さんは、音楽大学を卒業後、ニューヨークを拠点に、

ジャズピアニストとしてアルバム制作やライブ活動を行っています。

大江千里さんは、ときどき日本に戻ると、

「日本っていいなあ。」としみじみするとか。

日本の音楽シーンに戻るという選択肢はないのかなあ。

「ポップスの大江千里としてのチャプター1は完結しました。

そして、今はチャプター2がゼロからニューヨークで始まっている。

だからステップバックはない。」

引用:アクティオノート

と、はっきり語っています。

うーん、残念・・・

けれど、大江千里さんは、年齢に関係なく挑戦すること、

いつでもゼロから始められることを教えてくれました。

今後のご活躍をお祈りしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

タイトルとURLをコピーしました