新浜レオンの父は演歌歌手の髙城康雄!野球で鍛えた精神で悲願の紅白2年連続出場へ!

トーク番組
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こんにちは。

今回は、J-POPの枠から少しはみ出し、新浜レオンさんをご紹介します。

新浜レオンさんは、紅白出場も果たした、演歌・歌謡界のニュースターです。

最近、歌番組やバラエティでもよく見かけますね~

新浜レオンさんは、あの国民的長寿番組『徹子の部屋』にも出演されました!

カタカナの名前だけれど、国籍は?

新浜レオンさんとはどんな歌手?

歌手になる前は高校野球に打ち込んでいたとか?

そして、新浜レオンさんのお父さんも歌手というのは本当でしょうか?

まとめましたので、どうぞ最後までお読みください。



新浜レオンの本名は?国籍は?

新浜レオンさんは、2024年の紅白歌合戦にも出場した、

演歌・歌謡界の、若手男性歌手です。

1996年5月11日生まれの29歳。(2025年9月現在)

新浜レオンさんは、とにかく、元気いっぱい、全力投球のイメージですね!

ステージでのアクションが大きく見えると思ったら、身長が180cmあるそうです。

新浜レオンさんは、大東文化大学時代、

「ミスター大東」グランプリに輝いた実績を持っています!

おお!まさしく、高身長イケメン~

きっと大学時代から、人気者でモテモテだったのでしょうね~

「新浜レオン」という名前から、ハーフなのかな?

国籍はどこかしら?と疑問に思われそうですが、

出身は千葉県白井市で、ご両親も日本の方でした。

新浜レオンさんの国籍は、疑いようもなく、日本です!

「新浜レオン」は芸名で、本名は、

高城 勇貴(たかじょう ゆうき)さん、というそうです。

 



新浜レオンは芸名?どんな意味?

芸名の「新浜レオン」は、

「新」 デビュー日が、令和の初日だから。

「浜」 出身である千葉県の美しい海浜から

「レオン」 雷(ゲルマン語)のごとく、ライオン(ギリシャ語)のように

頑張るようにと、想いを込めて名付けられたそうです。

「新浜レオン」さんの名前には、深い意味があったのですねえ。

誰が考えたのかなあと思っていたら、所属事務所の社長さんでした!

社長さんは、ご出身の青森県津軽半島の岬にライオン岩という観光名所があるので

いつかタレントに「レオン」と名付けたいと思っていたとか。

明るく元気はつらつの、新浜レオンさんのイメージにピッタリだったのでしょうね!



新浜レオンの父は演歌歌手の髙城靖雄!


ご存じの方も多いかもしれませんが、新浜レオンさんのお父さんは、

演歌歌手の髙城靖雄(たかじょう やすお)さんです。

髙城靖雄さんは、2代目「伯方の塩」CMソングで有名な方です!

「は・か・た・の・しおっ~♪」つい一緒に口ずさんでしまう、あれですね~

新浜レオンさんの父・髙城靖雄さんは、

「伯方の塩」のイメージキャラクターを10年近く務め、

全国放送のテレビCMにも出演されていました。

当時はどこに行っても「塩屋さんですか?」と言われたとか・・・

新浜レオンさんも「実家は家じゅう塩だらけ」と冗談を言っているようですよ~

実際、新浜レオンさんの父・髙城靖雄さんは、

毎日、伯方の塩を溶かした冷水を浴びて健康維持を心がけているそうです!

新浜レオンさんは、小さい頃からお父さんのディナーショーやコンサートを

観て育ったそうです。

歌手の道を志したのは自然なことだったのかもしれませんね。

新浜レオンの母親は料理の先生

新浜レオンさんのお母さんは、お料理の先生だそうです。

高校の野球部時代、お母さんが毎日、ご飯2合!のお弁当を作ってくれていたそうです。

2合ものご飯が入る、弁当箱が存在するの~?

ご飯の量に見合う、おかず作りも大変そうですねえ・・・

お母さんのご実家は、梨農家で、新浜レオンさんは小さい頃から梨を食べて育ったそうです。

千葉県白井市は梨の名産地ということもあり、高校時代のあだ名は「梨男なしおとこ」だったとか~

新浜レオンさん自身も料理が得意で、共演者に手作りのクッキーを配ることがあるとか!

では普段、新浜レオンさんは自炊されているのでしょうか?

どんな料理が得意なんでしょうね?

また、新浜レオンさんは、サンリオファンで、特にシナモンロールがお気に入りだそうです。

サンリオとコラボで「れおすけ」のキャラクターが誕生しました。

「れおすけクッキー」なんて、コンサートグッズにすると良さそうですねえ。



新浜レオンはプロを目指す高校球児だった!


お父さんが演歌歌手だから、当然新浜レオンさんも

小さい頃から歌手を目指していたのかな?と思いきや・・・

新浜レオンさんは野球少年で、ずっとプロ野球選手を目指していたのだそうです。

小学校2年生から高校3年生まで、ずっと野球一筋!

新浜レオンさんは、小学校の卒業文集にも

「将来はプロ野球選手になる」と書いたそうです。

野球を始めるまでの新浜レオンさんは、食の細いやせっぽちだったとか。

野球を始めてから、モリモリ食べて筋力も付き、立派な体格に育っていったのですね~

新浜レオンさんは、千葉県の野球の強豪校である千葉英和高等学校に進学し、

野球の練習に明け暮れたそうです。

コーチから「お前は声が大きいから一度キャッチャーをやってみろ」と言われ、

見事キャッチャーのポジションで、レギュラーを獲得!

高校時代バッテリーを組んだのは、後に福岡ソフトバンクホークスに入団された

重田倫明(しげた ともあき)投手だったそうです。

新浜レオンさんは、3年生になりキャプテンも任されたそうです。

野球部員、総勢100名の中から、すごいことですね!

残念ながら、新浜レオンさんは、甲子園出場の夢は叶わず、

大学の野球推薦を断り、野球の道をあきらめようと決意したのだそうです。

現在、新浜レオンさんは歌手として多忙な日々を送っていますが、

「日々忙しくても、あの頃の経験に比べたら、全部乗り越えられる!」

と思うそうです。


新浜レオンは父のカバン持ち修行

新浜レオンさんは、野球をキッパリ辞め、

先輩歌手である父・髙城靖雄さんのカバン持ちを始めました。

大学に通いながら、歌手になるための活動に取り組んだそうです。

お母さんは、歌手という仕事の厳しさを知っているだけに、

新浜レオンさんが歌手を目指すのは、大反対だったとか!

歌手と無縁の家庭でも、子どもが歌手になりたいと言い出したら、

親としては躊躇してしまいますよね・・・

新浜レオンさんは、当時、短髪で日焼けした肌に、

筋トレで鍛えたがっしりとした体つきだったそうです。

今のスリムな体型からは想像しがたいですねえ。

事務所社長から、体が大きすぎる、もっと絞った方がいいと指摘され、

新浜レオンさんは、なんとたった2週間で、10キロ減量に成功!

宣材写真の撮影に間に合うよう、本気を見せたそうです。

野球で培ったド根性、恐るべしです!

一体どうやったら、そんなすぐにダイエットの効果が出るのか、

ちょっと知りたい気はしますが、かなり無理をしたのではないでしょうか?


新浜レオンが念願の歌手デビュー!

新浜レオンさんは、努力の結果、2019年5月1日(令和初日)に、

楽曲「離さない 離さない」で念願のデビューを果たしました。

が、東京上野で自身初のイベントの観客は、ハト3羽のみ・・・

観客は人間ではなく、ハトとは・・・

普通の人なら心が折れそうですが・・・

やはり、野球で培った忍耐力や向上心が、新浜レオンさんの強みなのですね!

新浜レオンさんは、地道に全国各地でキャンペーンを重ね、

少しずつ応援してくれる方が増え、

その年の日本レコード大賞で、新人賞を受賞することができました!

苦労が実って本当に良かったですね。

お父さん、お母さんも喜ばれたことでしょう~

新浜レオンさんは、2023年、「捕まえて、今夜。」の、

サビの”窓ふきダンス”の振り付けが、tiktokで大ブレイクしました。

「捕まえて、今夜。」は、名探偵コナンのスピンオフ作品

『犯人の犯沢さん』のオープニング主題歌になっています。

「捕まえて、今夜。」の関連コンテンツのトータル再生回数は、

なんと1億回を超えたとか!!

新浜レオンさんは、地道な対面のキャンペーンもこなしつつ、SNSも駆使して、

ブレークへとたどり着いたのですねえ。


新浜レオンと父の憧れは西城秀樹


「捕まえて、今夜。」の”窓ふきダンス”は、新浜レオンさんが敬愛してやまない、

西城秀樹さんがヒントになったのだそうです。

新浜レオンさんが目指すのは、西城秀樹さんの世界観。

父の髙城靖雄さんも西城秀樹さんのファンだったそうで、

幼い頃から西城秀樹さんの音楽に慣れ親しんでいたのですね。

新浜レオンさんが、西城秀樹さんの曲をカバーする姿も目にします。

実際、西城秀樹さんが亡くなって以降、

その魅力を再発見するファンが増えているそうですよ!

天国の西城秀樹さんも「ヒデキ、感激!」と喜んでくれているかも・・・!

新浜レオンさんは、

「同世代に演歌・歌謡曲の素晴らしさを届けるのが自分の使命!」

だと語っています。

新浜レオンが父の悲願「紅白」に出場!

そして、忘れてはいけないのが、新浜レオンさんは、2024年に晴れて、

『第75回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました!

紅白で披露した「全てあげよう」は、

所ジョージさん作詞作曲、木梨憲武さんプロデュースという、豪華な楽曲です!

紅白では、所さんと木梨さんも応援にかけつけましたね~

こんな大物2人に見いだされた、新浜レオンさんは、

ものすごいポテンシャルを秘めているに違いありません。

2025年の紅白も、2年連続出場が決まり、

父の髙城靖雄さんの喜びもひとしおでしょう!

「WEB女性自身」のインタビューで、父・髙城靖雄さんが、息子・新浜レオンさん

との紅白をめぐるエピソードを語っていました。

かつては、父・髙城靖雄さんも、紅白出場の夢を抱いていたものの、

厳しい現実を前に、紅白は夢のまた夢だと痛感したそうです。

だから息子の新浜レオンさんには

「紅白は夢の世界だから、口にしない方がいい」と言ったことがあったとか。

ところが、新浜レオンさんは

「紅白に向かって行くし、これからもずっと紅白という言葉を言い続ける」

と強い意志を示したそうです。

「お父さん、紅白出場が決まりました」

と新浜レオンさんからの震える声の電話に、

お父さんも泣きそうになったと語っていらっしゃいます。



新浜レオン『徹子の部屋』で”レオン語”の許可を乞う?

2025年4月18日放送の『徹子の部屋』に出演した新浜レオンさんは、

紅白歌合戦に初出場した時の衣装で登場しました。

紅白出場の時よりも、『徹子の部屋』出演の方が緊張していると語っていました。
新浜レオンさんは、紅白でも披露した「全てあげよう」の間奏で、
”膝スラ”のパフォーマンスが恒例となっています。
”膝スラ”とは、
サッカーのゴールパフォーマンスのような膝スライディングをすること。
プロデューサーの木梨憲武さんが考えてくれたそうです。
意外にも、キャッチャーが膝をついて球を受ける姿勢が、
”膝スラ”に役立っているのだとか。
色々な場所で歌い、膝スライディングを行うので、
衣装の膝部分が破れてしまうそうです。
これまでにもう9本くらい、パンツがダメになってしまったそうです。
あらあら衣装代もバカになりませんねえ・・・
話題になった”レオン語”とは、
「がんばレオン!」のように、言葉の最後に”レオン”を付けた造語です。
木梨憲武さんからは、
「レオン語は全然ウケないのでやめてくれ。徹子さんにこれからも”レオン語”
を使っていいか確認してみなさい。」
と伝言されたとか。
徹子さんからは、「そうねえ・・・いいんじゃないの。」
無事、許可が下りました~



新浜レオン「全てあげよう」完成秘話は?

新浜レオンさんは、木梨憲武さんのラジオに生出演した際、
西城秀樹さんのカバー曲の話題が出たそうです。
同じく生出演していた所ジョージさんに、木梨憲武さんから、
「レオンくんに秀樹さん風の曲を作ってあげてよ。」
と依頼があり、2日後には、所ジョージさんから
「曲ができたよ」と連絡が入ったとか!
こうして新浜レオンさんのヒット曲「全てあげよう」ができ上り、
見事、紅白出場へつながったのですね。
さすが、所さん、仕事が速いです~
スタジオで、西城秀樹さんの「ギャランドウ」を熱く歌いました。



新浜レオンの一番のファンは父ではなく母?

新浜レオンさんが、歌手になりたいと決意した時、
お母さんからものすごく反対されたそうです。
大学4年間でデビューできなければ、諦めるとの約束で、
お母さんはしぶしぶ認めてくれたのだとか。
4年間の条件付きで、頑張っていたのですねえ。
今では、お母さんは、家に帰ると「レオン様!おかえり♡」と迎えてくれ、
新浜レオンさんが出演する全ての番組を見ておられるそうです。
同業者のお父さんではなく、お母さんが一番のファンになってくれてたのですね!
サプライズで、お母さんからの手紙を徹子さんが読み上げると、
新浜レオンさんは、ビックリするとともに思わず涙を・・・
「どこまで行っても原点は、母であり、父であり、自分を作ってくれたのは両親です。もっともっと大きくなって喜んでもらえるよう頑張ります。」
と答えていました。
新浜レオンさんは、本当に、真っすぐ素直な、好青年ですね!
新浜レオンさんから、新曲「炎のKiss」「Fun!Fun!Fun!」
についてもお知らせがありました。
番組出演の感想は、「心から幸せ、あふレオン!」
「ありがとうございました!これからも駆けあがレオン!」
とレオン語でしっかり締めました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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